別々に考えても一緒にしちゃっても
何も問題はないと思う。
ただ、強制的な考えの押しつけは
やってはいけないことだと思う。
コタエは見えてても背けたいものだ。
一つのゴールをプロになるとした時、
前例というのは一つの答えだ。
野球やサッカー、メジャーな団体競技しか
プロはないわけだが
学校対抗の全国大会に
出場したことない選手、
学校の部に所属していなかった選手は
少なくないと思う。
才能のある者は恐ろしく早い段階で
ほぼプロと同意義の活動を
せざるを得ない。
そこで問題なのがそんな
プロ相当を擁するチームと
学区内の寄せ集めのチームが
果たして戦っていいものなのか、と。
せめてリーグ分けがあっても
良いのではないかと。
学校対抗であっても
ランクやリーグで
カテゴライズされていない日本は
何気にマイノリティである。
日本でも個人競技においては
アマチュアであっても
残酷でもありフェアな
標準記録によって
大きな大会には
参加するためのふるいが存在する。
スポーツだけではない。
どこの小中学校にも囲碁将棋部はあるが
プロでそんな部に所属し活動していた方は
恐らく少数派であろう。
トップ選手ならば皆無かと。
軽音部出身のミリオンアーチストとか
いるのでしょうか。
あくまでもプロになり
勝って喰っていくことをゴールとした
話にすぎません。
プレイすることに重きを置いたなら、
学校の気心知れた連中と
勤しむことは非常に価値のある事です。
団体競技で全員が同じ目標を
目指すことはプロに求めることです。
勝つことに全てをかける人もいれば
ワンプレーにカタルシスを感じる者もいる。
どっちも否定しないチームってのは
簡単じゃない。
勉強の片手間でセンセごときが
やるのは無礼ってもんだ。
部活とは機会にとどめるべき。
コンペディションを行うから
訳が分からなくなる。
そこは切り離さなければ。
どんな競技や種目であっても
国内のトップレベルで戦うには
最低月十万以上は必要。
親が全てを払えるのはごく小数。
金以上に時間や労力も必要。
才能が無くとも環境が揃っていた為に
戦えるものもいれば
本人だけが才能を知り
自らそれから目を背ける人生を
歩んでいるものもいるだろう。
どちらも無駄じゃない。
才能のないものしか教えられないこともある。
才能のあるものにしか見えない世界がある。
地域とか学校とそんな下らねぇ
区切りに囚われていてら、
ずっとこの国はつまらねぇままだと思う。